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得意分野が見つからないから、「ライターにはなれない」と思っていた【column #00】

このコラムは、あるひとりのライターが「企業広報支援ライター」と名乗って活動していた5年間(2013年〜2018年)の経験をもとに書いた当時のブログを、一部改訂して再掲したものです

 

わたしはかつて、「企業広報支援ライター」と名乗っていた。当時、だいたいの人は、名刺をわたすと一度首をかしげて「ちょっと説明してくれる?」という目でわたしを見てくることが多かった。

要するにいろいろな広報ツールやテキストコンテンツを作ることを生業としていたわけなのだが、どうやらライターとしてはずいぶんニッチなジャンルだったらしい。正直、じぶんがフリーランスになるまで、そんなことぜんぜん思ってもみなかった。「へえ、めずらしいね〜」といわれても、「そうですか?(他にもいると思うけど)」と思っていた。

でも。

いざライターを名乗って周りを見わたしてみたら、確かに同業者がほとんどいなかった。いや、いるんだろうけど、名前を出して活動しているような人が見つからなかった。ちょっとびっくりした。そうしてわたしは、いつのまにかじぶんの“専門分野”とやらを手に入れたのだ。

「書く仕事」なんて、一部のすごく才能にめぐまれた人にしか許されない特権だと思っていた。それでも、ずっと好きだった本や雑誌の世界に関わっていたくて、大学を出たわたしは、どうにか出版業界のかたすみにしがみついてみることにした。当時はフリーライターになろうなんてまったく考えていなかったし、最初にたずさわった仕事は、「書く」こととはほど遠かった。

その当時、「編集の仕事とかをするにはどうしたらいいのかなあ」と、のん気に構えていた小娘が唯一たどりつけたのは、宣伝会議が発行する専門誌『編集会議』と、同社が主催する「編集者・ライター養成講座」だけだった。他に選択肢もなく、わたしは藁にもすがる思いで講座に申し込むことにした。

ところが。結果を先にいってしまうと、わたしは最後までその講座に通わなかった。というか、途中で完全に心が折れてドロップアウトしてしまった。

周りの受講生は、「絶対に書く仕事がしたいんです!!!」という熱意のかたまりみたいな人ばかりだった。ファッション誌をやりたい、スポーツライターになりたい、書籍の編集をしたい……。「あれっ」と、わたしはそこではじめて気がつくことになる。「わたしって、何がしたいんだっけ?」

わたしには、「絶対にこれがやりたい」という、確固たる想いが何もなかった。エッセイストになりたい? いや全然ちがう。創作にも興味がない。書籍も雑誌も、どのジャンルの編集がしたいのか。全然わからない。ルポライターを目指して社会になにかを訴える? そんな覚悟も度胸もあるわけない。そもそも「伝えたいこと」なんてない。じぶんが何に興味があるのか、よくわからない……。

講師の先生方(現場の第一線で活躍する方ばかりだった)は口をそろえて「編集者もライターも、なにかしらの専門分野を持つことが第一歩です」という。専門分野。わたしはついに、それを見つけることができなかった。

その後、編集プロダクションなどを中心に転職活動をしたときも、「伝えることのお手伝いがしたい」とかなんとか、曖昧でつたないアピールをするわたしに、面接官の方は必ず聞いた。「では、あなた自身が伝えたいことは何ですか?」 当然、何も返すことができない。「ああ、もうムリだな」と思った。出版や編集の仕事は、わたしには向いていないんだ、と。

でもそれから5年後、わたしは独立してフリーライターになったのだ。「これからはこういうライターじゃないと生き残れません」という条件に、ただのひとつも当てはまらなかったわたしが。

わたしが“専門分野”のようなものを得られた要因は、業界を出版→広報領域へスライドしてみたことと、拾ってもらった会社(ここが、企業のパンフレットなどを専門で作っている制作会社だった)で目の前に降ってくる仕事にひたすら没頭したこと。そのふたつだけだと思っている。

業界は出版ではなく広報分野に、取引先は版元や編プロではなく、一般企業になった。若いときのわたしには「出版」の市場しか見えていなかったけれど、あたりを見回してみたら、「書ける人」を必要としている企業も、仕事もやまほどあった。

さらにわたしの背中を押してくれたのは、ある一冊の本だった。

▼20歳の自分に受けさせたい文章講義/古賀史健 著
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この本を読んで以来、とっても尊敬している古賀史健さん。書籍の世界で、『嫌われる勇気』など、大ベストセラーを何冊も出されているライターさんだ。この著作のなかで、古賀さんはこのように書かれている。

思い返してみると、「得意分野を見つけること」が推奨されるライターの世界において、ぼくは専門らしい専門をなにひとつとして持ってこなかった。
 グルメに詳しいわけでもないし、旅行情報に詳しくもなければ、映画ライターや音楽ライターというわけでもない。ITや経済知識も中途半端で、すべてに対して素人である。
 しかし、素人だからこそぼくは、取材先で得た情報を「その分野の素人にも通じる言葉」へと“翻訳”することができる。へんな話だが、何物にも染まらない素人であることは、ぼくにとって最大の強みなのだ。

(p33,ガイダンス「その気持ちを『翻訳』しよう」より)

この一節を読んだとき、ずっと心のなかで抱えていたひとかたまりの不安が、するすると溶けていくのを感じた。「専門分野がなければダメ」といわれつづけてきたけれど、そうではないスタイルだってある。そういうライターだってアリなんだ。それでも、誰かの役に立てるんだ。

ものすごく、勇気をもらった。

「ライターはこうあるべし」という議論を、いまもいろいろなところで目にする。でもわたしは、絶対忘れないようにしようと思う。そうした言葉は、あくまでも「誰かが過去の時代に経験したこと」から生まれてきたものだったり、ある特定の世界だけに当てはまることだったりする。確かに、経験は尊い。先人の言葉には敬意を払い、きちんと耳を傾けたい。

でもそれが必ずしもすべて正しく、これから先の未来にもあてはまるとは限らないのである。

これからますます、「書く仕事」は多様化していくのだろう。ビジネス領域だけみても、さらに細かく専門領域が分化していくような気がしている。

「書くことは好きだけど、仕事にするのはムリかな」と、いまの時点で思っている人。これからはその「書くスキル」が思わぬ武器になって、闘える場所が増えるかもしれない。「書ける人」にはまだまだ、意外な可能性が隠されていると思う。

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